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2年間で42名

赤ちゃんポスト設置から 2年。

その2年間で42名の赤ちゃんがポストに置かれたんだって・・。

なかには親が引き取りに来た子もいるし(4人)
接触してきた子もいるらしい。(11人?)

赤ちゃんポストというのはどうなんだろう・・

正直 わたしはあまりいい感じはしていない。
子供を捨てる場を作ることで あまい考えで子供を生む人間 生んでしまった人間を増やすだけじゃないかなと思うから。

だけど このポストの設置で助かった子供もいれば
(未来に起こっていたかもしれない虐待)
救われた親もいるのは事実だとは思う。

一番は 育てる覚悟がない人間が子供を作ることが間違っているんだと思う。

でも そういう人間が存在する以上 そんな親から生まれてしまった子供が救われる場所って必要なのかな・・・・

育てることができない理由・・いろいろあると思う。

想像しやすいのは 性への好奇心だけでエッチはしたけど 子供ができてしまって結局育てることもできない わたしが一番軽蔑するパターン。

でも そこにもいろいろ問題は潜んでいるんだと思う。

結局・・そうなるまで 相談する人も 気がついてくれる人も回りにいなかったってことだろうし・・
生んでしまって悩んでいるその未熟な親に救いの手を差し伸べてくれるのが赤ちゃんポストだったという現実は悲しいなとは思う。

赤ちゃんポストを設置したことで そこに捨てられる子供が出たのは事実だ。
一番最初に捨てられた子が もう3歳にもなっている子だった・・というのもショックだった。

そのこを育てた3年間・・親は愛情がわかなかったのだろうか・・

愛情があっても捨てなきゃいけないほどの思いが親にはあったのだろうか・・

だけど ポストが設置されたことで 親の手で命を落とす子が何人かは・・減ったのかもしれない。
親の暴力に合わずにすんだ子がいるのかもしれない・・

ポストを設置している病院に設置されている相談電話で 救われた子供も 捨てられた子の3倍いるという。

赤ちゃんポストは反対だ・・と思うけど・・・

けど・・という思いが生まれたのも事実かな・・

親子でも自分ではない

最近 親が子供をころす事件が本当に多い。

憎悪・・ではなく ほとんど親が何かに悩んでその結果無理心中をする形だけど・・

「残しておくと可哀想」

という気持ちはわからないでもない。

親が自殺をした子供は 子供で心に大きな傷を負ったまま生きていくのは事実だろう。

だけど それでも 子供の人生は子供の物だと思う。

子供を殺すほど可哀想と思うのなら 子供のためにいき抜いてやることをなぜ選択しないのだろう。

そうじゃなければ 子供も道ずれにすることだけはやめればいいのに・・

死ぬことを選択するのだって勇気はいるとは思う。
そして その選択をするほどの問題を抱えた親の苦悩もわからないわけじゃないが・・

だけど 一番信じていた者のてにかかって命を落とした幼い命のことを思うと 死ぬ勇気より 生きる勇気を選択して欲しいし そうでないのならせめて 親子といえど 子供は自分の一部じゃないことをもう一度考えて欲しいと思う。 

男に狂う母親?

大阪で 21歳の同居の男が 29歳の女性の6歳の子供を虐待して意識不明にする事件があったらしい。

最初母親が

「自分が首をしめた」

といって 救急車を呼んだらしいが・・・

この母親は 虐待される自分の娘も守らずに 男をかばったわけなのだろうか?

わからない。

この21のバカ男は 体をゆすっただけで虐待していないと寝言をいっているそうだが・・

どうやって体をゆすったら あざができるというんだろう。
全身打撲で意識不明になるっていうんだろう。

そもそも 意識不明になるような体のゆすり方を 大人の男が 6歳の子供にやれば それだけで立派な虐待だということもわからないほど バカなのだろうか。

そして この21にもなってバカな男を 29にもなった女がかばうなんて どういう精神構造なんだろうか?
ぜんぜんわからない・・・

男は「母親の言うことを聞かないから・・」とかいっているが
確かに 6歳ともなれば 第一次?反抗期もあるかもしれない。
多少 言うことも聞かないという事実もあるかもしれない。
それを 母親もいらついていたかもしれない。

・・そうだとしても

わたしなら 自分が怒っていることに便乗して 男が一緒になって怒ったら それだけで その男に切れるけどなぁ。(-_-;)

少なくても わたしが怒っているときに一緒になって旦那が怒り出すと 旦那をまず怒る。

子育てには役割があると思う。

どちらかが怒っていたら 残りが子供の逃げ場になってやるべきであり 
どちらかが感情的になったのなら 残りがそれを冷静に止める役割をするべきだと思う。

別にかばってやれといっているわけじゃない。

冷静に 子供に諭す役割・相方(親)の説教をどこかでSTOPしてやる係りがいなければ いつまでも子供は 頭に血の昇っている親の説教に付き合わされるわけだし 頭に血が昇りすぎているのなら親の方だってどこかで誰かにとめてもらわなきゃいけないのだ。

そりゃ 理想は 一人でちゃんと冷静に怒ってやれる親だろうけど

少なくても この21のバカ男にはそれができてなかったのだから 29の女は もう片方の役割を果たすべきだったのだ。

それもせずに この男を庇って自分がやったなんていうなんて・・・バカじゃないだろうか。

もしも それが通って 自分が殺人未遂で拘留されたら 意識不明の娘のことは誰がみるんだ?
このバカ男か?

そしてもしも自分が刑務所にいって その間に娘が意識を取り戻したら 娘はこのバカ男を暮らすのか?

男にとち狂うのもいい加減にしろと心から思う。

うーん どっちが常識なしなんだろう・・

親として 子供が”何か”の巻き添えになるのがいやなのは当然だし それに対して怒るのは当然だとおもうけど・・・

週刊女性と柳M里は・・どうなんだろう・・

この人 人の名前晒すけど 自分が晒されるとそれだけで切れそうで怖いわ・・

自分のブログで 自分の長男への虐待を書いていたみたいだけど・・

その長男に(取材のためか)つきまとっていた記者の名刺をなんとブログで公開したらしい。

しかも
「お前を虐待すんぞ、コノヤロー!!」
とまでブログで書いているとか・・・

これが文化人のすることかなぁ・・・とわたしは思う・・

ネットのマナーがわかってないのかなぁ。
まぁ・・週刊誌も いろいろ問題多いし こういうトラブルもいつかは起こっても当然なのかもしれないけど・・

だけど ネットで人の名刺とか勝手に公開するかなぁ・・

そもそも 母親なら 確かに自分の子供に被害が及ぶようなことをされれば切れるのも当然だけど この人・・

長男を虐待したことをブログに書いたり その長男の泣き顔をブログにアップしていたらしいのよ・・・

自分のやったことを何だって思っているんだろう?

そして それを非難されたら

「ひとことだけ言っておきますが、『今日のできごと』は、『交換日記』と同様に、広義な解釈で『フィクション』です。どういう写真に、どういう文章をつけるかは、かなり計算しています」

と書いたとか・・・

わたしは この人のブログを見てないし 今後もみる気はないけど

広義な解釈ってなんだろう・・
まぁ 何でも好きなことかいても ウソかいても なんでもブログはあり・・って思ってやっている人間はこの世にたくさんいるだろうし そんな人間に何を言っても同じかもしれないけど・・

ウソも 真実も 誇大表現も好き勝手かいているなら ブログの情報って信用できないってことだよね。
フィクションなら フィクションでちゃんと表示しておけばいいし ましてや 実物の人間の実際に起こった日常を勝手に捻じ曲げて ネットに垂れ流していいって言う理由にもならないと思う。

結局この人って 子供も自分も物扱いしているから 自分の物に脚色してどう載せようといいっておもっているんだろうね。

まともな親なら 自分が叱って泣かした子供の顔写真を (虐待の)脚色して 不特定多数の人間に晒そうなんて普通考えないよね。
まともじゃないんだろうけど・・思考回路が・・

児童相談所が 記事のことを心配していったら

、「真に受けるひとが皆無だったら面白くないわけですが、アレ読んで、児童相談所に通報する『読者』なんて、マジいるんすね~」

とまた書いたらしいが・・・

普通は真剣にとらえるもんだし 反対に こういう話を流すような人間ばかりの世の中のほうがおかしいということがわからないのだろうか。
こういう問題 たとえ 90怪しいと思っても 10の危険性にかけて調査に動くのが当然だし それが当然の社会になるべきだと思うのに

この人に文章を配信する資格ないんじゃないと思う。

でも こんなこと書いていると

「お前も虐待するぞ コノヤロー!」

って書かれるのかなぁ・・・

望むことは1つ

今日は タレントの風見しんごさんの愛娘えみるちゃんが 交通事故で亡くなって1年の日だそうだ。

1月15日

もう あの日から1年たったんだな。

他人には あっという間の1年で
うっかり忘れてしまう1年だけど 遺族にとっては いつまでも繰り返し戻る1年だっただろう。

実際 TVで風見さんもそういっていた。

「あの日に戻ったり
これじゃいけないと前向きにがんばったり
だけど あの日に戻ったり」

と・・・

あの事故のことを語っている風見さんの姿を見て 交通事故の悲惨さ その遺族の思いにうたれ こんな事故はもうおきて欲しくないと思ったものだが

あのあとだって 交通事故で死ぬ子供はあとを断っていないだろう。

車は便利な道具で 今の時代 車のない社会なんて想像はできないし
今のままじゃ 交通事故がなくなるなんてことも考えられないけど・・

それでも やっぱり こんな悲劇は1つでも減って欲しいと思う。

天国のえみるちゃんに伝えたい言葉で 風見さんがいった

「気をつけて歩けよ」

交通事故で死んだ子供に言いたい言葉が

「気をつけて歩けよ」

給食って

今 全国的に給食費の未納問題が起こっている。
簡単に言えば 給食費を払わない親がいるわけだ。

理由があるから払えないと言う人はいるだろう。
まぁ・・そういう人も はらわなくていいわけじゃなく そう言う場合の公的補助の申請だとなんだのちゃんとしたうえで 払えない主張をするべきで 「お金がないから払ってないんだ」といっている人は問題外だろう。

そして今問題になっているのは 「払えるくせに払ってない」親なわけだ。

人として恥ずかしい。

「義務教育だから払わない」という人もいるらしい。
義務は 国が子供に教育を受けさせる義務でもあるが 親が子供に教育を受けさせる義務でもある。

わたしはいつもいっているが 義務も果たさずに権利を主張するのはおかしいと思う。

こういう親は 本当のルールも常識もどうでもよくて 自分の都合のいい「単語」を探していい訳しているだけに過ぎないんだろう。
だから 「義務」を勝手に 学校が子供に給食を食べさせなければいけない義務 があるとでも解釈しているのだろう。

「給食を止めれるものなら止めて見ろ」という親もいるらしい。
止めればいいんじゃないだろうか?

みんなが食べる中 一人だけ食べれない子供が出るだろう。
その子供は確かに恥ずかしい思いをするし それが原因で苛められるのかもしれない。
だが その根本的な原因を作っているのは親であり 「子供を虐めから守れ!惨めな思いをさせるな!」と主張するならば その言葉そのまま返すからとっとと自分が給食費を払えば言いだけなのだ。

大体日本の公的機関・政府は 外国にも国民にもなめられているんだろう。

「どうせできやしない」

自治体中には いろいろな対策をとり始めた所もあるらしい。

給料差し押さえ(最終的に)・・いいと思う。
2ヶ月払わないと給食STOP・・いいと思う。ちゃんと本当にSTOPを徹底するべきだ。
連帯保証人・・同じ学校の保護者に頼むんじゃなく その本人の親か会社にさせるべきだと思う。払わない他人のために払っている親が払うのは納得できないし わたしなら保証人なんてなりたくない。
給食かお弁当か選べる・・これが一番賛成かな。

給食を強制されたくないという人だっているだろう。
「みんな給食費を払え」というよりも 「給食を食べる人は給食費を払う=払わない人は給食はありません」とするべきじゃないだろうか。

そうなっても うちは給食を選ぶだろうけど。

どうしても 私が作ると料理も偏ってしまう。
ましてや お弁当のおかずともなればもっと偏ってしまう。
いろんな食材を いろんな調理で 家じゃ食べれない料理や 家じゃ食べない食材と 接する場所があるというのはいいことだと思う。

学校給食自体にもいろいろ問題は出ているが(農薬がどうとかいうやつ)
多分 そういう問題は 家庭の食材でも普通にスーパーで買っていたら自分が知らないだけでもっとあるんじゃないのだろうか。
それをちゃんと問題にし 改善している分だけ かなり安心な気がするのだが・・

わたしの意見としては 給食費を払いたくない人は払わなきゃいいが なら給食を食べるなということだ。
子供のお昼ご飯くらいそういう親は自分でどうにかすればいいだけの問題なのだ。

給食費を払わないいい年した大人にまで 過保護に「どうしましょう ああしましょう」と世話を焼いてやる必要などないと思うのだが・・

そういうことに時間をかけている暇があったら 低レベル教師の再教育問題や虐め問題・教育委員会の腐敗などを解決するべきじゃないだろうか。

秋田の事件

毎日のように報道されているけど・・見るたびに可哀想で辛い。

なくなった男の子は勿論だけど 女の子が可哀想で 仕方ない・・
いいお母さんじゃなかったかもしれないけど やっぱり子供はかわいがっていて 怒り方が行き過ぎたりすることもあったかもしれないけど・・女の子は お母さん大好きで 幸せな毎日を送っていた・・・そうであって欲しいと 願わずにいられない。

女の子がなくなったことは もうどうしようもない事実だから せめて 亡くなった子が 生きていた短い時間 幸せであって欲しいと思わずにいられない。

そして こういう子は あの子だけじゃなくて まだまだ世の中にたくさんいて・・
あの子が 可哀想だと思うなら 今現在生きているそういう子たちに 「ひょっとしたら・・」でも気がついている人がいるなら 手を差し延べて上げて欲しい・・とおもう。

でも・・以外と知っているようで 知らないんだよね・・
わたしも 自分の子供の友達くらいしか知らないし・・・(娘の友達は・・そりゃもう幸せすぎるほど親にかわいがられている子なのはわかるし汗 まぁ・・親に怒られるのはおこられているけど)
それは わたしが 特に ママ付き合いをしないほうだから 情報もはいりにくいということがある。
実家の近所に住んでいたときは おばちゃんそのままの母親のおかげで 近所の話っていうのはよく 母経由で教えてもらっていたから(まぁ それでも虐待されている子はいなかったかな?離婚して大変で服変えないから 子供服譲ってやれ・・って感じで・・それは未だにしているんだけど)

せめて 女のこの件だけは・・事件じゃなくて 事故であって欲しい・・・

あと・・いま容疑者の問題ばかり上がっているけど あれだけ女の子の事故の方の不自然さも今話題になっていて・・警察の責任も 大きいんじゃないのか。

女の子が事実 事故でも あれだけ矛盾点があったのなら もっと慎重に調査を進めていれば 少なくても 次の事件は起きなかったんじゃないのかって思う。

警察は 男の子殺害の犯人を捕まえたことで 名誉挽回したつもりかもしれないけど その事件の発端を自分たちが起こしたかもしれないって言う重大さをもっと認識するべきだ。犯人がにくいのは当然だけど・・わたしは 警察にも怒りを感じる!

順位をつけない学校

最近 思うことは 今の小学校は順位をつけない。

それを特に感じたのは 運動会だ。

わたしたちの時代 徒競走と言えば 身長順とチームによって走る列を決められた。
同然 その列の中には 早い子もいれば 遅い子もいる。
本番では 3位までは賞品がもらえた。
まぁ・・大概 しょぼいリボンだったりするんだけど(一等は赤リボンとか) それでも子供たちは誇らしいから 運動会が終わったしばらくもそのリボンを帽子などにつけていたものだ。

娘の学校では 1年生の時は タイムごとに走っていた。
つまり・・大体 同じスピードの子たちが走るわけだ。
まぁ・・それ自体は 別にいいとは思うんだけどね。
(早い子は 早い子の中で。遅い子は 遅い子の中で順位をきそえるんだから)

それが 今年 3年生の娘の走ったグループ(といっても 3年生全部がそうだったんだけど) 男女混合だった・・・・タイム順も更にはいっていたのかもしれない。
小さいうちは 男女の差は少ないといっても・・・男の子と女の子を一緒に走らせるのか?
もう 3年生だぞ?
しかも・・走った人数は 3人・・・(・_・)(半端とかじゃなくて 子供の数が少ないからなんだろうけどね)

女の子一人に 男の子二人・・・つまり 女の子は娘だけ・・・
娘は 足の速いほうだと思う。(小学校になると もう早い方なのか 遅い方なのか 学校の妙な方針のせいで わからないんだけど)幼稚園のころは リレーの選手に選ばれていたし。
今年は 一人の男の子に勝って もう一人の男の子に負けての2位・・・・

・・・・その徒競走に いったい 何を求めているんだ?教師たちよ。

みんなで 楽しく走りましょう?
順位関係ないんですよ?
闘争心も 競争心も 勝ったときの誇らしい気持ちも 負けたときの口惜しい気持ちもいりませんよ?

・・わけわからん・・・

わたしは 子供の時 足の速い方だったので 徒競走でいつもビリ・・とかいう子の気持ちは確かに分からない。(大体順位は1位か2位)
そういう子供は 運動会なんか雨になれ!学校休みたいよ! という気持ちなんだぞ と言われると 理解はできないけどね・・・。(もっとも 本当にそうなのかどうなのかはわからないが)・・・だけど わたしも運動会は好きじゃなかったから 雨ふれとか思ってたけどね。
足の速いほうだったわたしだって 徒競走前は ドキドキしたもんだ。
あー・・いやだ いやだ と思ったもんだ。(負けずキライだから)
・・・・・だから・・・なに?(・_・)

どんなに強い選手だって 負ける可能性はあるんだし 負けることの恐怖は大小あれど みんな感じることじゃないか。(負けることの恐怖じゃなく 勝負の恐怖かもだけど)

自分が負けたときに どう感じるかは 本人の責任だ。
その口惜しさをばねにする人もいれば 自分はここでは負けないぞと他の長所をみなす人もいる そうじゃなくても もう終わった!明日からまた楽しく過ごすぞ!と気持ちをきりかえる人もいる。
自分が思っているほど 他人は人の順位(とくに徒競走なんて)なんか気にしないもんだ。
子供なんて 自分の順位の方が大事なんだから。
もしも 徒競走でビリになった・・自分はダメな人間だ・・もう学校にも行きたくない、友達とも遊びたくない・・とか言い出すようなら その子のそういう考え方を親や教師が そうじゃないんだよって なおしていくべきものだと思うけどね。
じゃなきゃ この先 何かに負けるたびに どうするんだよ。
そんなのいずれ成長のなかで学んでいくもんだ・・というのなら 今それを学ばないでいつ学んで行くつもりなんだよ?と 思う。

この先 みんな一緒♪ 競争も比較もない社会ですよ♪ っていうのならともかく・・
公立の娘の小学校だって 早い子は 中学受験を迎えるんだろうし そうじゃなくても 高校受験・・受験じゃなくたって このさき いろいろある。
いまの小学校のこのわけのわからないシステムが 一体 なんだっていうのだろうか・・

ちなみに 4年生からは 何人かにわけてリレーになる。(もちろん男女混合だ)
まぁ・・みんなでバトンをつなぐ・・という共同意識とか・・そういうのではいいんだろうし・・全くわけわからない・・とは言わないが・・結局 個人の順位をつけないための逃げじゃないの?って感じられてしまう。

ちなみに 足の速い娘は 下の子で 上の子は・・もう 遅い 遅い。
だから 当然 徒競走(というか上の子は リレーだけど)いやだよ~ とか言っている。
別に 自分の娘の足が速いから 学校の徒競走がおかしいとか言っているつもりはない。

なぜ そういうシステムが必要なのか どうしてこうしているのか・・その意図が 全然わからないからだ。

もっとも・・まったく順位をつけてないわけでもなく・・クラスの中においては 教師各々により そりゃもう 順位を意識するような学習システムとっているけどね・・
・・って ことは あのわけのわからない運動会のシステムも・・わたしの考えているような意図はないかなぁ・・・

ちなみに・・娘の学校では チームわけは クラスごとにより3チームに別れる。
1組黄 2組赤 3組青 のように。
そして・・4年生は 2クラスしかない。
つまり・・青チームは つねに1クラス分人数が少ないわけだ。
なのに 一応(本当に一応に近いような状態汗)点数をつけ 勝敗を競っている。

・・・だから・・わけわからないって・・・汗
ひょっとしたら・・たんにうちの娘の学校がやるきないのかなぁ。
運動会 しょぼいもんなぁ・・・(お昼だけしかこない父兄もいるっぽいし・・)

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