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どちらの立場で見るか

臓器移植法改正でA案が衆院で可決された。

脳死をめぐっては まだハッキリしない分 いろんなところで戸惑いも意見も出ているみたい・・

特に子供を持つ親という視点からは 賛成・反対の意見が分かれているように見える。

わたしは 自分が脳死状態になったら どうせなら臓器を提供して病気に苦しんでいる人に役立ててほしいと思う。
それは 病気の人のために・・というだけじゃなく 脳死状態になった自分の面倒を家族にいつまでも看させたくないからだけど

じゃあ 子供が脳死状態になったら・・・

自分ほどは割り切れないと思う。

温かい体がそこにある。
ただ 前のように反応してくれないだけで 確かにまだ生きている・・そう思える子供がいれば それを”死”だと思えるかは・・

正直自信はない。

自分の子供・・家族が

移植を待つ身であるか
脳死状態であるか

その立場の違いで 考えはきっと変ると思う。

それは仕方ないと思う。

きっと反対している人たちだって 自分の大事な人が移植を待つ身だったら・・・今回のA案にだって賛成するんじゃないかな・・・

だって・・そうじゃなければわたしには理解できない。

海外移植はリスクも高いし 費用だってかかる。

その費用ゆえに移植できずになくなる人だっている。

自分の子供が 移植さえすれば生きていられるかもしれない・・その可能性があるのに 諦められる親がいたら・・そっちのほうがわたしにはわからない。

今回のA案は わたしは賛成だ。

必ず脳死になったら 臓器提供しなければいけないわけじゃない。
その選択は家族にある。

確かに 自分の大事な人が脳死状態になったそのショックのときに臓器提供の話をされれば ショックだろうし 怒るかもしれないけど・・・

だけど 選択はできる。

助かるかもしれない

移植を待つ人間も
脳死の人間も

その可能性にかけて選択をする・・どちらも生きる選択ができる。

移植もできずにその選択さえできずになくなる人間が減るのなら臓器移植法改正には賛成。

ただ・・本来は寿命で死ぬはずの人間なんだから・・それが自然の摂理だから・・という問題になると正直 これもどれが正しいと判断できないんだけどね・・

こわいなぁ

新型インフルエンザの脅威がフェーズ6に引き上げられたとか・・・

世界の・・日本からずーーっと遠い国で初めて出た一人の感染者・・

そこから あっという間に世界中に広がっていく様子は正直 恐怖すら感じる。

神経質になりすぎてもいけないけど この状況を楽観ししていてもダメだと改めて思い知らされる。

症状は重くはないけど その感染力は季節性に比べて高いというのも正直怖い。

今年の冬はどうなっちゃうんだろう><

福岡何を考えているんだろう・・

福岡市は何を考えているんだろう・・

北九州の話だったけど 関西への修学旅行を取りやめたとなったときに批判されて反論していたが・・

正直 それはもっともだと思った。
「大丈夫だ」なんて保障誰もできないんだから 用心して何が悪いんだろう。
感染したときに責任とってくれるわけでもなし・・と思っていたが・・

たぶん 修学旅行の関西への自粛は 福岡市だってやっていたんじゃないかと思うが その割りに 自分の地域で起きた感染には無頓着だったということが今回わかってしまった。

最初に福岡で感染がわかったアメリカ人男性・・

この人が 飲食店で食事などしていて その後 福岡市内で小学生の感染がわかったのだが・・

感染源がどうも このアメリカ人男性らしい。

その時点で 感染の広がりの恐れがあるから検査を実施してほしいという医師の要請を どうやら福岡保健所が受け流したようなのだ。

結局 今 福岡市では毎日のように感染者数が増えている・・

正直 今の時代 完全な封じ込めなんて難しいだろうと思うが 既に感染してしまったものを責めるのもどうかとは思うが・・

できることもしなかった結果の責任はやっぱり追求されるべきだと思う。

・・変といえば・・今 通院しているんだけど 関西のほうで感染が話題になっていたときに その福岡の病院で職員にマスク着用が義務付けられたらしいのだが

今 福岡で感染者が増えているというのに そのマスク着用の義務が解除されたらしい。

なんでだろう?

冤罪の怖さ

17年もの間無実の罪で刑務所にはいっていた恐怖。

足利事件で今回冤罪がハッキリ・・したんだろうな。

17年という年月は誰が考えても決して短くない。

同時に 無罪の人間が刑に服している間に真犯人がのうのうと社会で暮らしていたんだろうと思うと 遺族のことを思ってもやるせない。

もちろん 冤罪に間違われた人間の親族だって・・・

真実を知っているのは犯人だけだから 冤罪が完全になくなるのは難しいことなのかもしれない。

「疑わしき(く?)は罰せず」

疑わしいだけで 確固たる証拠がなければ罰しない

こういう事件が発覚するとこの言葉に重みが増してくる。
だけど 反対に どう考えても犯人じゃないのか・・と思える人間が 証拠がないだけで無罪になってしまうと・・・・

わたしはやっぱりこの言葉にも疑問を感じてしまう。

本当に難しいと思う・・

何が悪かったのだろうか。

「犯人逮捕」を急いだ警察なのかな・・
「逮捕した」という実績だけがほしくて「(真犯人が)誰か」の追求を怠ったことが原因なのだろうか・・

冤罪に問われた方の悲劇もだけど・・

真犯人も決して許してはいけないと思う。

「時効」なんて必要ないと思う。
逃げていた年月の苦労が 贖罪に値するかどうかはつかまった後の裁判で決めればいいだけじゃないだろうか。

どんなにその年月苦しんでも そのまま犯人が捕まらないまま罪が消えてしまえば その年月を同じように苦しんできた遺族や被害者が さらにその後の年月も死ぬまで苦し見続けることになる。

今回の足利事件でも 新たな被害者の存在がわかったということだよね。

加害者は 警察であり 検察であり 裁判官でもあるのだろうけど この事件の真犯人だって絶対はずせないと思う。

(もっといってしまえば きっとマスコミやわたしたち”社会”でもあるんだろうけど)

それを思えば 菅家さん(足利事件で犯行を疑われた人)が投獄されていた期間もずっと真犯人により被害を受けていたわけだし 関係のない人間を犠牲にして自分の身の安全の中で暮らしていた犯人の時効なんてありえないと思わずにはいられない。

人を殺すほど苦しんでの結果の犯罪・・というのならともかく この真犯人は自分の欲望のために幼い子供を犠牲にした同情の余地もない変態だしね・・ 

2年間で42名

赤ちゃんポスト設置から 2年。

その2年間で42名の赤ちゃんがポストに置かれたんだって・・。

なかには親が引き取りに来た子もいるし(4人)
接触してきた子もいるらしい。(11人?)

赤ちゃんポストというのはどうなんだろう・・

正直 わたしはあまりいい感じはしていない。
子供を捨てる場を作ることで あまい考えで子供を生む人間 生んでしまった人間を増やすだけじゃないかなと思うから。

だけど このポストの設置で助かった子供もいれば
(未来に起こっていたかもしれない虐待)
救われた親もいるのは事実だとは思う。

一番は 育てる覚悟がない人間が子供を作ることが間違っているんだと思う。

でも そういう人間が存在する以上 そんな親から生まれてしまった子供が救われる場所って必要なのかな・・・・

育てることができない理由・・いろいろあると思う。

想像しやすいのは 性への好奇心だけでエッチはしたけど 子供ができてしまって結局育てることもできない わたしが一番軽蔑するパターン。

でも そこにもいろいろ問題は潜んでいるんだと思う。

結局・・そうなるまで 相談する人も 気がついてくれる人も回りにいなかったってことだろうし・・
生んでしまって悩んでいるその未熟な親に救いの手を差し伸べてくれるのが赤ちゃんポストだったという現実は悲しいなとは思う。

赤ちゃんポストを設置したことで そこに捨てられる子供が出たのは事実だ。
一番最初に捨てられた子が もう3歳にもなっている子だった・・というのもショックだった。

そのこを育てた3年間・・親は愛情がわかなかったのだろうか・・

愛情があっても捨てなきゃいけないほどの思いが親にはあったのだろうか・・

だけど ポストが設置されたことで 親の手で命を落とす子が何人かは・・減ったのかもしれない。
親の暴力に合わずにすんだ子がいるのかもしれない・・

ポストを設置している病院に設置されている相談電話で 救われた子供も 捨てられた子の3倍いるという。

赤ちゃんポストは反対だ・・と思うけど・・・

けど・・という思いが生まれたのも事実かな・・

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