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やっぱりつらい

子供が犠牲になる事件を聞くと やっぱり辛い。

本来守られなければならないものが 守られる被害にあう・・

他人からもだけど その加害者が自分の家族・・親だった場合の子供の気持ちを考えるとやっぱり辛くなる。

虐待と躾。

虐待をする親は 「躾」だという。

100の棒にたとえて・・・20までは躾で許される言動があったとして・・そこから虐待になっていくとする。

最初は 確かに躾のレベルだったのかもしれない。
次に18の虐待よりの躾になって・・さらに22の躾よりの虐待になっていく・・

そのうち 親には22も躾になって・・・と境界が変っていくのかな・・

だからといって 同情する気も 共感する気もまったくない。

怒っているそのときは 境界があやふやになっていても どこかではちゃんとわかっているはずだ。

そもそも・・自分がされたときに それが納得できるレベルかどうかを考えれば・・・

自分なら絶対いやなことをしているわけだし。

それを言うと 「自分なら仕方ないと納得する」という人間もいるけど・・

結局 口先だけ・・実際にやられないというレベルで話しているんだよね。
だから 本当にその人間が失敗したときに 同じような「躾」で間違いを正せば 反撃したり反論したり・・・

わたしの子育てが 正しいなんていえないし 感情で怒ってないかといわれれば それだって感情で怒っているところがあると思う。(っていうかある)

だけど・・

自分の子供が笑っていてくれるのを見ると

そういう笑顔を向けながら 親から殺されている子供の事件を聞くと辛い・・

罪と罰

今回 闇サイト殺人事件の判決が出た。

自首をした一人が無期懲役、残りが死刑。

自首したから刑が軽くなる・・それは 悪いことではないと思う。

ちゃんと心から反省し 悔い改めて自首し 謝罪のための人生を送る決意があるのなら。

だけど 今回の川岸は 判決後だって「悪事もばれなきゃいいと未だに思っている」と断言しているし 反省だってしていない。

つまり 出所すればまた犯罪を犯す確率はかなり高いと思う。
よっぽど お金に困らない人生にでもならなければね・・・。

ましてや この男は拉致という犯罪をおかし 被害者を殺害するその事件の中でも 被害者に暴行しようとしたんだから・・

お金に困らなくても 性欲にまかせて性犯罪を犯す可能性だって高い。
(悪いことだってばれなきゃいいって思っているって本人がいっているんだから)

そういう人間を 自首したからって罰が軽くなっていいのかな・・・

そりゃ 自首しても「死刑」なんてことになれば 自首する犯罪者はますます減るかもしれない。

その辺が難しいのかもしれないけど でも 日本の場合 無期懲役っていっても本当に一生刑務所から出れないのかといえば・・・

たいてい出てくるんだよね。

つまり 人を殺しても反省しても悪いとも思ってなくて ばれなきゃ何してもいいって思っている人間が確実に住数年後には社会の中に紛れ込むわけだ。

懲役1000年くらいにしたほうがいいんじゃないかな。

そうじゃなかったら「無期懲役」というのなら本当に「無期」にするべきだと思う。

でも こういう人間のために税金で食事代だのなんだの出すのはいやだから・・・

刑務所内でしっかり労働させて 自分の食費くらい自分で稼がせればいいんじゃないだろうか。

でも 遺族は やっぱり自首しようが何しようが・・死刑にしてもらいたいだろうな。

わたしだってそう思うはずだもの。

なぜ 犯罪者のことばかり考える法律・判決がでるのか・・・

やっぱりなぁ・・

祖母と孫が殺された事件・・・

やっぱり 弁護側は責任能力を訴えてきたけど

責任能力ってなんだろうなぁ。

弁護士のいう話じゃ 発達障害で被告は 犯行を思いとどまれなかった・・

らしいが・・

それが本当でも そういう人間が社会で当たり前に暮らしているってどうなんだろう?

それで被害にあったら 「責任能力がないから仕方ありません」ってわけなんだろうか?

そもそも ずっと前から周到に殺人の準備をしていて発達障害でって・・・

弁護士がいうところの責任能力・・ってなんだろうなぁ。

責任を取らない能力なら・・長けていると思うけどね。

そういう人間が当たり前に生活している社会って・・映画であるような無法社会そのまんまじゃないのかな。

弁護士はそういう社会を当たり前だと思っているのだろうか。

思ってはないだろうけど・・・ただ 自分が弁護する人間が罪が少しでも軽くなれば自分の勝ちっていう程度の考えで弁護しているんだろうな・・

弁護士ももっと 人を弁護する資格がある人間なのか一般投票でも定期的にすればいいのに。

ふと思ったのだが・・

事件を起こして その内容の凶悪さや本人の反省もしくは犯行理由が フォロー使用もないものの場合 弁護士は必ず 責任能力で訴えてくるような気がします。

わたしは責任能力がない人間こそ 社会に出すべきじゃないと思うのでこういう理由じゃいつも納得できないのですが 要は こういう理由しか罪を軽くするところがないからみんなワンパターンに弁護士は同じことをどの事件でも言うんでしょうね。

確かに 犯行に追い詰められ そこに至るまでに狂気に落ちてしまった犯罪者と言うのもいると思いますが その場合はまずは相手のやった行動をどう・・となると思うのですが ともかく 犯罪者の弁護に当時の責任能力だけを訴える場合 その犯罪内容には同情すべき点がないもの(せいぜい 被害者とは全然関係ないところの 犯人の生い立ちくらい)ばかり。

少し話しかわって・・

福岡で 飲酒運転で車を追突し 相手の車を海に落として自分は救助もせずに逃げ出し 飲酒の証拠を消そうとした今林の裁判が行われていました。

今林の弁護士は 海に落ちた理由を 被害者側のいねむり運転にあるので落ちたことの責任のすべてが今林のせいだとは言えない・・

というような弁護をしていたのですが

論点が何故そんなところにいくのかもわかりません。

相手が居眠り運転していなかったら 今林は飲酒運転しなかったのでしょうか?
相手が居眠り運転していなかったら 今林は逃げ出さずに救助していたのでしょうか?
相手が居眠り運転していなかったら 今林は自分の飲酒の証拠を消そうとはしなかったのでしょうか?

あの弁護士は何をいいたいのか・・
また裁判官は何を持って判決を下すのか・・

被害者が居眠り運転をしていたかどうかは正直 わたしはわかりませんし それが事実ならそれはそれで確かに罪に問われる箇所ではあるとは思いますが・・

でも それと今林が行った行動とはなんの関係があるのかわかりません。

相手が居眠り運転をしていなかったら 今林が飲酒運転をして対抗車線をはみ出しても 冷静に対処し 事故が起こらなかった。
ゆえに だれも海には落ちずに 事故は起こらなかった

とでもいいたいのでしょうか?

そんな理屈が通るのなら 世の中で起こっている犯罪のすべてはそのいいわけで逃げられると思うんですけどね。

飲酒運転を行ったことはまず許されません。
そこで裁かれるのは当然でしょう。

だけど 今林がここまで世間に叩かれるのは 海に落ちた相手の車を救助もせずに逃げ出し 挙句に自分が酒を飲んでいた証拠を消そうと汚い行動に出て 挙句に事故の原因を相手になすりつけようとしているからだと思うんですよね。

もしも 今林があの時に逃げ出さずに 海に落ちた人たちの救助に当たっていたら

必死に救助をしていたら

世間の目はもっと違ったものになっていたと思います。

全部自分が招いた自業自得なのに これで今林の罪が軽くなるようなら 人をひいてもわが身第一に行動する人間の勝ちって裁判所が認めたってことなんでしょうね。

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