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罪と罰

最近の事件・事故を考えていると 罪と罰というのはなんだろう・・と思う。

わたし的には 罰とは 被害者の納得と加害者がもうこんな思いするなら2度とあやまちを犯すまい・・という思い・そして罪への反省・・そのための物だと思う。

人が人を裁くには 常に誰が裁いても公平であるために 一定の基準は必要だろう。
だからこそ 現在の刑法の基準はできたのだろうし。

だが 今その基準である罰(判決)が本来の罰の役目を果たしているのだろうか・・・

例えば 人を殺して 判決を15年と受けたとする。

本来なら 被害者(遺族)がその15年が自分たちの無念さ・憤りを納得させるもので 犯罪者はこんな思いするならもう2度と人を殺すまい・そして 殺してしまって申し訳なかった・・と心から反省するべきものなら問題ないだろう。

犯罪者にとって自分の罪を反省する・・これが一番大事な点だと思うが 被害者にとっての罰の一番のポイントは 受けた被害を罰と等価だと納得できること・・だと思う。
この両方を満たして 罰は罰だと言える。

つまり 例え犯罪者が罪を反省したとしても 被害者が納得できなければそれは 罰としては被害者からしてみれば不十分だと言える。
誰のための罰なのか・・・となるだろう。
ただ 被害者側の憤りは限界がない場合もあるだろうから そこに犯罪者の反省があるのなら 大部分の人が認める等価の罰でいいのはでないかと思えるが・・

じゃあ 反対の場合はどうなのか?

つまり・・・被害者はその罰にはまぁ納得・・人殺しなどの場合はきっと納得なんかできないだろうけど それが盗みだったら?盗んだ物は返って来たり それ相応の保障を受けられたり・・そして 数年でも実刑を受ければ 被害者は納得するかもしれない・・だが 当の犯罪者が 反省もしなければ懲りてもなかったら・・・・罰はただの罪に対する処分でしかなくなる。

そういう意味で言えば 刑法の定める物・・裁判で下される物は 決して本来の「罰」ではない。

裁判官は 基準や通例に従い 「それ相応」だと自分と法律が定める 処分を言いわたし そこに被害者の納得する気持ちも 犯罪者の反省うんぬんが考慮されることはない。
(表面上はあるけどね・・)

そりゃ 勿論 本当に罪を悔いて反省している者もたくさんいるだろうけど
下される判決に多くの人間が不満をもつような犯罪者というのはそういう部類ではない。

被害者への謝罪の言葉も態度もない。
心神耗弱だの 育った背景だのを理由に 自分の罪を軽くすることを望み ましてや 同じ犯罪を何度も繰り返すような人間だって多い。

じゃあ そういう犯罪者たちにとって 罰(判決)はなんなんだろう・・と思うと「ペナルティ」でしかないんだろうな。<ゲーム的な

犯罪を犯した。
捕まらなかったらセーフだったけど 捕まったからペナルティは受ける。
ペナルティを受ければ その罪はもう終わる。

被害者たちは納得していない。
犯罪者も反省もしていない。
ペナルティ(例えばそれが刑務所いき)さえ受ければ 「罪を償った」と思いこむ犯罪者たち。

そんな現在の罰に・・一体 何の意味があるのだろうか・・・・

誰のための罰なんだろうか・・・

司法の自己満足のための罰としか思えない。

結果 同じような犯罪を繰り返し 挙句にもっと凶悪化していく。

いい例が 性犯罪者たちだ。

また 暴力事件で捕まり 出所後に被害者をお礼参りとばかりに殺害する事件だって起こっている。

裁判官たちは 自分の下した判決(罰)をどう思っているんだろうか・・

犯罪者たちと同じ・・自分が下した犯罪に対しては その償いは(判決処分で)終わっている。
その次に犯した罪は 新しい罪だから それはそれでまた新たに裁かれなければならないものだ。
だから 自分が下した判決には何も恥じる物はない。

・・・とでも 思っているのだろうか? 

情状酌量の材料にするときだけ犯罪者の過去の生い立ちなどが語られ・採用されることが多いみたいだが 犯罪者がその犯罪を犯す仮定だっていきなり単独で発生するものじゃない。
それが前の小さな犯罪で その犯罪がどう処分されてきて・・その結果 また犯罪を犯した人間がいる・・過去が軽減の材料になるのなら その過去の修復を正しく処分できなかった人間(親でも裁判官でも)も新たな罪の贖罪を負うべきなのじゃないだろうか。

ちなみに わたしは 過去がどんなに可哀想でも罪を犯していいとは思わないし それが軽減の材料になるとも思わない。

本人はそういういい分でいいかもしれないが それに巻き込まれる人間側にしてはしったこっちゃないことだからだ。

親に虐待されて・・その親を殺してしまったとか あまりにもお金がなくて万引きしてしまった・・というのならまだわかるが 過去の生い立ちのせいで通りすがりの人に暴力を振るって殺しましたとか 子供にしか興味を持てなくなりイタズラしました・・なんてやつには 同情の余地もないし 同情するやつの気がしれない。
お金がなくて万引きというのだって 働かなくてお金がない・・とか言うやつなら理由になるか!と思うし。

同様に 心神耗弱とか知的レベルがどうとか・・そういう理由の軽減も一切認める気もない。
クスリをやって精神状態がうんぬん・・・なら その時の状態が判断能力なくても クスリをやったことの結果なんだから判断能力なくて当然で 当然なことを減刑ネタにしても仕方ないだろう。わたしから見れば 包丁で心臓を指しました・・というくらい それは立派な罪でしょうというものだ。
知的レベル問題も・・・ハッキリ言えば 社会生活に適応できないような人間を1人で野放しにしないでもらいたい。
それは本人は勿論 家族の責任だ。
一人にできないような人間を放置して犯罪を犯したら 本来なら家族が責任とってその本人を処分してもらいたいとさえ思うくらいだ。
悪いことかどうかも区別が付かないなんて・・・一番 最悪なんじゃないのか・・そんな人間を 善悪がわからないから無罪なんて・・・次の犯罪を約束するようなものじゃないか。

厳しい意見かもしれないけど 厳しいなんて思うのはあくまで加害者側にたったときの話しだと思う。

世の中の死刑反対者や犯罪者の減刑運動をする人は 最後まで犯罪者への責任を持つ覚悟で 奇麗事だけじゃない行動をみせてもらいたいものだ。
もちろん・・自分が支持する犯罪者だけじゃなく 全犯罪者に対しての責任を・・だ。
他人の人生の責任をとることの重大さが分かるなら 傍観者の立場で死刑廃止・情状酌量なんて言えないと思うけどね・・。
わたしだって 殺された被害者の遺族がそういうのならまだわかるけど・・(それでも その犯人がまた犯罪犯したら・・と思うと 社会に戻すのは納得できない) 犯罪者もそういう優しい人の家族を狙えば死刑にだけはならないかもしれないけどね。わたしも そう言う人たちには 死刑にすべきだなんていわないよ。自分たちで納得していることなら。

だけど わたしの「罰」への考えの中に 被害者の刑に対する納得できるもの・・というのがある以上 部外者がそれを踏みにじるようなこと・・・そして次の犯罪をうむ可能性の高くなるものに賛同することは絶対にできない。

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